中浜万次郎
1827年から1898年に生きたジョン万次郎

土佐の漁師の子として生まれ、日本人として初めてアメリカに渡りました

ですが時代は幕末

数奇な運命を辿ることになったのです

日本の夜明けに貢献したジョン万次郎にインタビュー



ジョン万次郎にインタビュー
ハガクレ

今回は波乱万丈の人生を送った中浜万次郎さんことジョン万次郎さんです

ジョン万次郎

ハロー!ナイストゥミーチュー!

ハガクレ



おっ!アメリカンナイズされてますねー!やっぱり外国帰りは違いますね。幕末の時代にアメリカに渡ったジョン万次郎さんですが、どうやってアメリカに行ったんですか?

ジョン万次郎

WAHAHA!別にミーは外国に行きたくって行ったわけじゃないんですYO!

ハガクレ

え?なんで?留学したんじゃないんですか?

ジョン万次郎




NONO!ミーは土佐出身の漁師なんです。ミーは15歳の時に仲間と5人で土佐中浜から魚を捕りに行ったんですよ。そしたら大シケにあっちゃいましてねー。10日間の漂流後、今の八丈島よりはるか遠くの鳥島ってとこに流されちゃったんですよー

ハガクレ

へー!そうだったんですかー。でもなんでアメリカに?

ジョン万次郎


それがネ、ミー達5人は鳥島に流れ着いてから143日も無人島生活をしたんですYO。海草を食べたりと辛かったネーアレは

ハガクレ

そうなんですか!?143日もすごいですね!

ジョン万次郎



そしたらネ、アメリカの捕鯨船が通りかかってねー。やっと助かったと思ったら、なんと幕府が鎖国中で外国船を日本に入れてくれないんです。仕方なくミー達はハワイのホノルルってとこに連れて行かれたんです

ハガクレ

アコガレのハワイ旅行を幕末にやっちゃったんですかー。すごいなぁ

ジョン万次郎



デモね、仲間の4人はホノルルに残るってことになったんだけどね、その船のホイットフィールド船長さんがとってもいい人でねー。ミーは思わず一緒に連れてってくれって言っちゃったんですよ

ハガクレ

ほー

ジョン万次郎


船長さんはね、ミーを故郷のマサチューセッツに連れてってくれてね、学校も行かせてくれたんです。そこでミーは航海術をたくさん学んだんです

ハガクレ

イイヒトだったんすね

ジョン万次郎



イエスイエス!ほんとにイイヒトでしたよ。でね、ミーは24歳になった時に船に乗ってホノルルを通りかかったんですヨ。そしたら仲間達がいてね、その仲間がどーしても日本に帰りたいってんで、ミーたちは日本に帰ることにしたんです

ハガクレ

へー。良かったじゃないですか。やっぱり祖国が一番でしょ?

ジョン万次郎



それがねー、なんだかミーがいない11年の間に日本は変わっちゃっててねー。激動の幕末が始まりかけてたんですよー。もーミーが帰ってきたら薩摩とかのお偉いさんが色々アメリカの情報教えろとかうるさくってね

ハガクレ

あー、そうですねー。ちょーどそういう時代でしたもんね

ジョン万次郎



でね、やっとこさ故郷の土佐に帰らせてもらえてホッとしたんですけどね、土佐藩のお偉いさんたちが英語とか欧米の知識を教えろとかうるさくてねー。藩校の先生までやらされたんですよ

ハガクレ

すごいですねえ

ジョン万次郎

ミーの生徒には岩崎弥太郎や後藤象二郎なんかがいたんですよ

ハガクレ


えー!超有名人じゃないですか!ジョン万次郎さんそんな人たちに勉強教えたんだー

ジョン万次郎


なんかね、ミーもよくわかんないんですけどねえ。そしたら今度は江戸に来いって言われちゃいましてね。頼むからゆっくりさせてくれって感じでしたよ

ハガクレ

何で呼ばれたんですか?

ジョン万次郎



いやーアメリカからね、ペリーってのが来てねー、ミーが英語出来るからってのと、アメリカの国はどんなトコなのか教えろってことですよ。でもね、11年アメリカにいて思ったんですけど、日本はヤバイですね

ハガクレ

え?何でですか?

ジョン万次郎




だっていつまでも鎖国なんかしてちゃー世界から乗り遅れますよ。ミーはね、その辺のとこを幕府のお偉いさんに言ったんですけどね、彼らはダメですねぇ。しまいにはミーはアメリカのスパイまで言われちゃいましたよ。聞く耳を持ってない人たちってのはあーゆーのを言うんですねぇ

ハガクレ

スパイ扱いされちゃーヤバイじゃないですか?じゃあ土佐に戻ったんですか?

ジョン万次郎



ソレが今度は勝海舟ってのが咸臨丸(かいりんまる)という船に乗ってアメリカに行くっていうんですよ。で、ミーは通訳としてその船に乗って一緒にアメリカに行くことになってね。

ハガクレ

へー

ジョン万次郎



でもね、あの勝海舟って男は最悪ですよ?「オレが船長なんだから全部オレの言うことを聞け!」なんて言っちゃってね、なんだコイツ?って一緒に船に乗り込んだアメリカの海軍のブルック大尉達とビックリしちゃいましたよ

ハガクレ

えー?あの勝海舟さんが?なんか信じられませんね

ジョン万次郎





いやいや、すごいですよあの人。さんざんエバってたくせに、船酔いしちゃってね、まったく使い物にならないんですヨ。ブルック大尉がね、見るに見かねて「船の操縦お手伝いしますよ」って申し出たんですけどね、何が何でも日本人だけでこの船を操る!って突っぱねてねー。でもネ、船酔いで部屋から出てこれないんですよ?どーしようもないでしょ?

ハガクレ

意外だなぁ

ジョン万次郎


最後はようやくブルック大尉の申し出を受け入れましたけどね、一緒に船に乗ってた福沢諭吉クンも呆れてましたよホント

ハガクレ

へぇー

ジョン万次郎


でね、アメリカに着いたとたん、突然ガバっ起き出してね、船に自分の家の家紋が入った旗を掲げようとするんですよ!

ハガクレ

それが悪いことなんですか?

ジョン万次郎






あのね、アメリカに入国する時は「国の旗」を掲げるってのが常識なんですヨ。そんな常識もわかってない男が突然自分の家紋入りの旗を掲げようとするからみんな焦っちゃってねー。ブルック大尉からしてみれば重大な軍法違反なんですヨ!ミーだってそれくらい知ってますヨ?もーミーやブルック大尉が必死でそれを押しとどめましたよ。諭吉クンなんて冷ややかな目で勝海舟を見つめてましたねぇ

ハガクレ

はぁー

ジョン万次郎



そしたらね、日本人の水夫がね、勝海舟の家紋の旗を焼いたんですよ。WAHAHA!アレにはみんな心の中で拍手喝采でしたよ。ったくとんでもない船長でしたね。なーんであんな器の小さい男が偉くなっちゃったのか不思議ですよ

ハガクレ


すごい意外なお話ありがとうございました!へーあの勝海舟がねー。へー。で?アメリカに上陸してからは?

ジョン万次郎



それがね、みんな英語がまったくダメでね。それまではミーのことを「土佐の漁師のクセに」って馬鹿にしてた目で見てたんですけどね、ミーがいないとトイレにも行けないから、みんなミーの周りをうろうろしてるんですよ。

ハガクレ

でしょうねー

ジョン万次郎


それまでは散々ミーをバカにしてエバってたおえらいさんたちが、突然態度豹変したからビックリですよ。

ハガクレ

じゃあ万次郎さんを見直したんじゃないですか?

ジョン万次郎



それがね、日本に帰ってからまたまた態度が豹変してねー。どうやらこの視察で実際船を操ったり活躍したのがミーやブルック大尉だってのがバレたら恥ずかしいっつーんで、ミーたちのことはなーんも言わないんですよ

ハガクレ

はぁ?なにそれ?

ジョン万次郎




それがおエライさんってもんですよ。武士である彼らはミーのような漁師上がりを頼りにし、ミーがいなけりゃ何もできなかったってことが屈辱だったんですヨ。ったく疲れるヤツラですヨ。あの福沢諭吉クンでさえこのことを隠してたみたいですからネー

ハガクレ


じゃあ万次郎さんはこれだけ活躍したっていうのに、まったく評価をされずに歴史に埋もれちゃったんですね

ジョン万次郎

そのようですネー。ま、身分制度社会でしたから仕方ないですよ

ハガクレ

帰国してからはどうしたんですか?

ジョン万次郎



んー。特に出世も出来ずにいましたねー。まぁ明治になってから新政府に招かれて学校の先生(今の東大)になりました。それからもヨーロッパ視察なんかにも行かされたりと、色々となんやかんややらされましたよ

ハガクレ

でもひどいことはされなかったんですよね?

ジョン万次郎


イエス。ミーは晩年は穏やかにすごし、明治31年に71歳で死にました。若くして漂流というおかしな運命に踊らされましたが、いい人生でしたよ

ハガクレ

よかったー。

ジョン万次郎


ちなみに、ミーの生まれた土佐の清水市は、ミーのアメリカの故郷フェアーヘブンシティと姉妹都市の関係にあるんですよ

ハガクレ


へー!ジョン万次郎さんのおかげで今でも友好関係が続いているんですね!万次郎さんは武士に生まれていればもっともっと評価されてたかもしれないですね

ジョン万次郎

そうですネ。でも武士だったら魚を捕りに沖に出るなんてことなかったら、コレはコレでハッピーエンドネ!